鎧の渡し小網町 ーよろいのわたしこあみちょうー

歌川広重名所江戸百景より

鎧の渡し小網町

水彩にて 模写絵師つねきち


小網町は現在の日本橋中央区。

江戸時代半ばには

下総(千葉)から江戸に物を運ぶ水路がありました。

鎧の渡しとは

源頼義が遠征でここを通る際に

嵐を沈めるため

鎧兜を淵に沈めて龍神に祈ったところ

雨風がおさまり、川を渡る事ができたので

その名がついたといいます。

白い倉庫が立ち並ぶこの場所は

日本橋江戸ばしからもよく見え

江戸の景観を上質に仕立てていました。

絵の左端に少しだけ見えるのは

五大力船(ごだいりきぶね)と呼ばれ

江戸から昭和初期まで重宝された船で

物以外に人も輸送していました。

海では帆をあげ

川では竿をたててと

どちらでも使えるよう作られていたそうです。

そしてその下側から覗いているのが渡し船。

中には波しぶきや日よけの為に

傘をさした女性たちや

網笠を被った男性がいます。

そして正面に見えるのが猪牙船(ちょきぶね)

確かに猪の牙のようです。

この船は男性が吉原通いする為に

よく使われたそうです。

その奥には茶箱を沢山積んだ

荷足船(にたりぶね)があります。

荷箱の中身は名酒:正宗だとも言われています。

その横を歩く華のある出で立ちの女性。

着物の色鮮やかさと

模様の細かさが

静かな倉庫街を印象的なものにしています。

つねきちは細かい筆運びを

何往復も走らせ

江戸の水路に命を吹き込みました。

女性たちがさしている傘は

この辺りの名産物だったようです。

この倉庫街は

関東大震災で全て倒壊しましたが

艶やかな一枚の絵のおかげで

日本人にとって

忘れられない場所となりました。

黄色い空の下

くるくると飛ぶツバメ達が

初夏の躍動感を伝えています。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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