東海道五十三次模写(2017年)その①

つねきちは2017年1月から日本画の水彩模写を始めました。

それまでは友達やペットの写真から似顔絵を描いたりでしたが、

黙々と描き続ける姿を見て、そんなに沢山描きたいなら五十三次なんてどうかな?という話になり

描いてみる?と聞いたところ、やってみる!! と二つ返事。

始めるとすぐつねきちはこの日本画の虜となり、ネットから自分で画像をプリントして次から次へと描き出しました。

そして1年間で55枚全てを完成。

ワクワクとプレッシャーも楽しみながら描き上げる事ができました。


まずは起点である日本橋。

現在の東京都中央区日本橋に架かる橋で、溢れんばかりの人々で賑わうさまがわかります。

つねきちの描く人物の表情はあどけなく淡々として、まるでミニチュアの玩具が並んでいるようにも見えます。

新しい事が大好きなつねきちはあっという間に一気にこの絵を仕上げました。


品川宿。

現在の東京都品川区内。

御殿山の麓を通過する大名行列の最語尾を描いたものだそう。

東海道の初宿で江戸の玄関口をつねきちも期待に胸を膨らませながら描いた事でしょう。


川崎宿。

六郷渡し船で川崎大師に参詣に向かう人々を描いています。

当時、旅人が川を渡るのは大変な作業で、その深さによって様々な渡り方がありました。

実はこの絵は原画と左右が逆向きの鏡絵となっています。

模写を始めたばかりのつねきちが慣れないトレースで起こした姿ですが、

最後までしっかりと描きましたので、それはそれでご愛嬌。

上衣や女性の襦袢の赤色が差し色となって華やかさを添えています。


神奈川宿。

現在の青木橋付近から横浜駅西口にかけての景色を描いたものです。

店が立ち並ぶ宿場町。

当時の名物は亀の甲せんべいだったそう。

この辺りの海は北斎の神奈川沖浪裏でも描かれていますが、全くの別世界に見えます。



程ヶ谷宿。

現在の横浜市内保土ヶ谷の辺りで、武蔵国では最西橋の宿でした。

籠に乗った武士や網笠を深く被った虚無僧などが描かれています。

橋の向こうには旅籠や店が並び、山や木の色合いもひなびた田園地帯の雰囲気があります。

この頃のつねきちの描く橋は可愛らしい感じがしていました。



戸塚宿。

現在の横浜市戸塚区。

早朝に日本橋を出発した早馬が夕方戸塚に到着する光景です。

左側にある店はこめやという米菓子のお店。

女性の着物柄も楽しんで描けていて、小さな劇場のような世界です。


藤沢宿。

神奈川県藤沢市にある宿場で、時宗総本山の寺院・清浄光寺の門前町を描いたもの。

手前の大鳥居はこのさきにある弁財天の入り口を示しているそうです。

つねきちの筆もだいぶ慣れてきて、人物を描く線などに柔らかみが出てきました。


平塚宿。

神奈川県平塚市の宿。

丸い大きな山と、くの字になった道が対照的な絵です。

上半身はだかで走る飛脚と合間に覗く富士山の姿が自然と共存する当時の人を見せてくれています。

この丸い山は高麗山といって、現在でも平塚駅を西に歩いて行くとよく見えるそうです。



大磯宿。

現在は大きなレジャー施設もある、よく名前の知れた場所ですが、

当時は南側の海と北側の山に挟まれた細長い町で、宿場の中ではさびれた所だったようです。

そのせいか、どことなく歩いている人々の背中も寂しそう。

つねきちも何故かこの絵は原画より薄い色合いで描いています。


小田原宿。

箱根の山をバックに酒匂川(さかわがわ)を渡る人々を描いています。

春から夏にかけて増水する川ですが、4人の人足で一人のお客を担いで渡る姿が見えます。

賃金しだいで担ぎ方が変わる商売だそうですが、現代では想像もつかない世界。

大自然の中で生き抜いていく人々の逞しさを感じる作品です。

ここで濃淡のある山を覚えたつねきちですが、次は鮮やかな箱根の風景に没頭することになります。


箱根宿。

険しくそそり立つ二子山は、まるで南国のオブジェのように色鮮やかです。

麓には大名行列がこの後に通る厳しい関所までの道のりを急いでいます。

湖の向こうに白い富士。

この絵を描くことで、つねきちは絵を飾る筆づかいを覚えた気がします。


三島宿。

静岡県三島市の宿場で箱根越えをする旅人で賑わっていたそうです。

霧に霞む鳥居や人々の前面を籠や馬に乗った人が箱根までの道を急いでいます。

つねきちにはまだぼかしの技術がないのですが、雰囲気は味わえるかと思います。


沼津宿。

五十三次の中で唯一の月景です。

満月の明かりを頼りに旅の家族が宿を目指して歩いています。

天狗の顔が怖くないところが微笑ましい絵です。


原宿。

朝焼けに照らされた富士山が構図から飛び出したダイナミックな絵です。

旅途中の女性もその美しさに思わず後ろ髪をひかれています。

箱根の二子山とは対照的な雪の富士ですが、その美しさと険しさを表現したつねきちの

新境地とも呼べる一枚となりました。


吉原宿。

静岡県富士市に位置する宿で、通常は右側に見える富士山ですが、道がカーブして左側に見えるため

左富士の名所として知られています。

全体に明るいムードで一頭の馬に子供が三人乗り、のどかで楽しげな旅姿となっています。

つねきちはしっかりした線で松を描いていますが、当時並木道だった場所に

今では一本だけ松の木が残っているそうです。


蒲原宿。(かんばらじゅく)

同じく静岡県内の閑散とした宿ですが、夜の闇で静かに降り積もる雪が

特別に美しい風景に仕立てています。

面白いのがつねきちは遠くの空で降る雪を黒いチョンチョンで表しているところ。

無彩色な背景の中、女性の傘と雪駄の赤・少し離れた人の蓑笠の黄色で

ドラマティックな絵に仕上がっていると思います。





由比宿。

蒲原宿と近くの宿ですが全く違う雰囲気です。

雪を被った富士はさらりと描かれ、目の前には素っ気ないくらいの田舎道に淡々と浮かぶ船。

つねきちも淡々と描いていました。


興津宿。

同じく静岡県内で、その昔興津島姫命(オキツシマヒメノミコト)が住んでいたことから

この地名がついたそうです。

興津川は水が浅い為、籠屋が徒歩でお客を渡らせています。

お客は力士なので馬も人も重たそうな表情。

つねきちは横の小さな山を表現し、全体の色のコントラストを見栄え良く仕上げました。



江尻宿。

漁業で栄えた清水湾とあって、明るさと活気に溢れています。

船も数え切れないほどですが、丁寧に描けていると思います。

遠くに見える山に水色というのも面白いのですが、空の黄色とマッチして

つねきちワールドを感じさせる一枚です。



府中宿。

駿府とも呼ばれ、家康が晩年を過ごした場所だそうです。

駿河湾へ注ぐ阿部川を渡る様子を描いていますが、まるで神輿を担いで戦いを挑むよう。

女性が人足におんぶされたり籠に乗ったりしていますが、これも料金別だそうです。

遠くに険しい山が見えますが、手前の人々活気ある姿に救われる気持ちになる一枚です。



鞠子宿。

東海道中で一番小さな宿。

侘び寂びという言葉がぴったりな、ひなびたイメージですが、

つねきちワールドで温かみのある絵に描き上がりました。

後ろに見える山が大きなおにぎりみたいで面白い絵です。



岡部宿。

静岡県藤枝市内、宇津之山の風景を描いたものです。

殆どモスグリーンの山で占領されていますが、峠が長く続く険しい道だったそうです。

時代が変わると、この辺りは石畳になったりトンネルが掘られたりしたようですが、

当時の旅人たちが地形からの圧迫感を受けながら歩いていたのが目に浮かぶような一枚です。



藤枝宿。

江戸幕府の要職を務めた城主の町であり、塩の産地へ繋がる道でもある為、商業地として栄えた場所だそうです。

明治に入ると東海道本線が建設されました。

当時の移動に重要な役を担っていた早駕籠(はやかご)は平均時速6キロと言われていますが、相当な長距離を移動する為、宿場ごとに交代人員を置いていました。

駕籠の代金は7キロちょっとで大体一万円ぐらいで、駕籠かきの収入になるのはそのうちの10~15%ぐらいだったと言われています。

高級タクシーでも運転手の賃金は安かった当時、体を張って暮らしていた人夫達を、つねきちはひとりひとり丁寧に描いていました。




島田宿。

箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川 という有名な歌詠みがありますが、

水量と橋を渡せない程水流が強かった為、雨が降ると増水で旅が中断になることが多かったようです。

お伊勢参りの道中などで足留めを食らった旅人達が宿泊することで栄えた宿場ですが、長丁場になると持ち金を使い果たしてしまう人もいたといいます。

明治に入ると川の特性を生かした水力発電所ができました。

よくも悪くも勢いのあるこの大井川、つねきちの描いたシーンでは人々が無事に渡れているようです。



金谷宿。

ここも大井川の風景です。

前出の島田宿が江戸川なら、金谷宿は京都側。

同様に増水で旅を中断された人々が宿泊することで栄えた町だそうです。

坂や峠が隣接した場所だったようで、つねきちのアートに塗り分けられた山が見えています。

現在では落ち着いた街並みとなっていて、かつての宿場の賑わいは感じられない静かな場所だそうです。

人の生活は変化を繰り返しますが、土地も時代によって様変わりしていくものですね。



日坂宿。

静岡県掛川市日坂に位置する、東海道3大難所のひとつだそうで、あり得ない程の急な坂が見えています。

金谷宿、掛川宿や塩の道とも交差をした小さな宿場だったようです。

宿場の入り口には八幡宮が置かれ、こじんまりとした清廉な土地を感じさせます。



掛川宿。

山之内一豊が住んでいた掛川城の城下町でもあるそうです。

そう聞くとこの橋が出世橋のように見えてきますが、大池橋という橋で渡っているのは参詣者。

右に見えているのが秋葉山とのことです。

立派なご住職の上で凧があがっていて、先の方では糸の切れたやつが山に向かって飛んでいます。

強い風に身も心も洗われるような、霊験あらたかな場の雰囲気です。

橋を描く事はつねきちの集中力を引き出してくれるようです。

この先も注目していきたいと思います。




袋井宿。

東海道では東京と京都との丁度中間点にあたります。

有力な寺院や神社の近くに作られた、門前町として栄えたようで、参拝者やそれを相手にする商工業者が集まっていました。

前面では駕籠屋が一服しているところを見ると、お参りに向かう上客もいたのでしょう。

険しい山や大きな川もなく、のどかな休憩地でのひとときを描いているようです。


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