亀戸梅屋舗 ーかめいどうめやしきー

歌川広重名所江戸百景より

亀戸梅屋舗

水彩にて 模写絵師つねきち


現在の江東区亀戸三丁目あたりに

呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘として

「清香庵(せいきょうあん)」がありました。

そこに咲く梅は

幹がどっしりとして

枝は地を這うほどに伸び

そこからも根が出て

新たな幹を作り、また花を咲かせるほどでした。

その花は白く花びらは八重。

香りは遠くまで届くほどのかぐわしさ。

この辺りは将軍家の鷹狩り場でもあった為

将軍が立ち寄り

梅の木を褒めた為、たちまち有名になり

多くの人が訪れたそうです。

水戸黄門として知られる徳川光圀は

この梅の木の枝が地中に入り込んでいる姿を見て

「臥竜梅(がりょうばい)」

※龍が伏す姿に似ていることから

と名付けました。

また八代将軍吉宗は

横倒れになった幹から根が伸び

さらに成長していく所を見て

「世継ぎの梅」

と呼んだそうです。

この絵のように

目の前の物を大きく描いて

間から遠くを見せる

ポートレートのような構図仕立てを

広重は好んでいたといいます。


大正時代に入り

工業の発展とともに

梅は工場の煙で絶滅をしてしまいました。

現在はこの付近に

亀戸梅屋敷という商業施設があり

亀戸の文化と歴史を伝えています。

「臥竜梅」は

鹿児島県の菅原神社などに

天然記念物として残っているそうです。


龍はただ寝ているのではありません。

ここぞという時に発揮できるよう

力を溜め、時期を待っているのです。

模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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