浅草川首尾の松御厩河岸 ーあさくさがわしゅびのまつおんうまやがしー
歌川広重名所江戸百景より
浅草川首尾の松御厩河岸
水彩にて 模写絵師つねきち
当時、浅草あたりを流れる隅田川を
人々は浅草川と呼んでいました。
このあたりに立ち並んだ幕府の米蔵を
浅草御蔵といい
のちに蔵前という地名がつきました。
さて、米を運ぶには馬が必要です。
幕府はここに厩(うまや)も置いたので
御厩河岸(おんうまやがし)が誕生し
浅草の玄関口となりました。
そして、お金持ちはこの水路を使って
移動したり
船遊びに興じたりしていました。
当時、裕福な大名たちが
豪華さを競い過ぎたため
幕府より規制された屋形船(やかたぶね)の
代わりに生まれた
屋根船(やねぶね)は
簾を垂らし、プライベートな空間を生み出したもの。
中では芸者とお客が
夏の川遊びを楽しんでいるようです。
※元絵には簾に女性の影が描かれていますが、
子供の目線を持つ、つねきちには
どうやらよく見えていないよう。
見えるような、見えないような
微妙な雰囲気をお楽しみください。
有名な「首尾の松」があるのは
船で吉原へ行き来するお客たちが
「今日の首尾は・・・?」
と、お互いに情報交換をした場所です。
その後枯れたり戦災でなくなったりし、
現在は「首尾の松跡碑」が置かれています。
名所江戸百景は
数年前に起きた安政の大地震からの
復興をテーマに描かれたもの。
その中にはお店などの宣伝も含まれ
経済発展に向け
趣向を凝らした構図となっています。
江戸時代に最高の贅沢と言われた
吉原への猪牙舟通いや船遊び。
それは復興のシンボルとも呼べるかもしれません。
そして、絵のちょうど右上あたりは
現在スカイツリーが立つ場所です。
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