廓中東雲 ーかくちゅうしののめー
歌川広重名所江戸百景より
廓中東雲
水彩にて 模写絵師つねきち
廓中とは吉原のこと
東雲とは明け方のことです。
江戸時代、市中に散在していた遊女達を集め
作られた大きな遊郭。
そこは売り上げの一部を上納する事で
幕府から公認されていました。
まだ薄暗い早朝に
泊まりのお客を見送る花魁の姿が見えています。
お客は手ぬぐいで顔を隠し
吉原大門を出ていくところ。
付き人達を従えた花魁は
その身なりから、かなり格上なようです。
吉原に出入りできるのが
この大門ひとつだけだったのは
遊女達の逃亡を防ぐため。
家が貧しく幼い頃に売られてきた女性達は
雑用や見習いの段階を経て
15歳ぐらいからお客をとるようになり
容姿や才知に優れ、選ばれた物が
花魁の地位につきました。
10年位働いて年季(約束の期限)が明けると
吉原を出て結婚したり
裕福なお侍のお妾になったり
または吉原に残り雑務などの仕事についたりしましたが
年季が明ける前に病で亡くなる女性も
多くいました。
当時、吉原で働く女性達は
家族の為に身を粉にしていた事で
「親孝行した女性」と言われ
結婚した後などでも
特に隠す必要もなく、普通に生活していたといいます。
江戸時代、男性 達の最大の社交場であった吉原で
最も贅沢な遊び方は
今でいう同伴出勤から始まり
盛大な宴を催した後
お客は花魁と宿泊し
朝になるとこうして見送られ
男付き人とお客はそのまま茶屋に行き
一緒に朝食を取るという
流れだったそうです。
男冥利につきる粋な遊びも
女性の立場から見れば、やはり心が傷む話です。
日の出前の桜の木には色が見えません。
名所江戸百景には
度々この吉原が登場しますが
それだけ江戸の文化形成に
なくてはならない存在だったのでしょう。
実際のところ
遊女達の髪型やファッションは
多くの女性達に影響を与え
吉原で起きた男女のエピソードは
お芝居の人間模様を彩りました。
子を売るなんて
今の常識では考えられないお話ですが
どんな境遇にも立ち向かい
生き抜いてくれた当時の女性達が
この国を育ててくれた
そんな部分もあると思うと
少しのことで
へこんでなんか、いられないと感じます。
余分な感情を入れていない、つねきちの絵からは
淡々と当時の様子が伝わりました。
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