目黒千代か池 ーめぐろちよかいけー

歌川広重名所江戸百景より


目黒千代か池


水彩にて模写 つねきち



江戸時代、目黒から三田、上大崎にかけての一帯に
九州島原藩の抱屋敷があり
広大な敷地に絶景の庭園が施されていました。


抱屋敷(かかえやしき)とは
地方の大名が参勤交代で江戸に在中する際に
滞在場所として自ら買い取った土地に建てたものです。


赴任時の経費も全て自己負担で
幕府から与えられた屋敷以外に
年貢も込みで抱えていたといいますから
これだけの庭園を持つ藩の
すさまじい財力が想像できます。



三田用水を引き込んだといわれる
幾重にも折り重なった滝。


その麓にいるのは侍女達でしょうか。



南北朝時代に非業の死を遂げた
新田義興の後を追い
ひとりの側室が身投げをしました。


その名前にちなんでつけられたのが
千代が池。


水面に映る桜の木が
千代の一途な思いを現しているようです。

このように木などをシルエットで表現するのは
西洋風の技法であり
広重はあまり好まなかったそうです。


しかし池に篭る物語が
この地を清廉に染める為にさせた技なのでしょうか。


通常は出入りできない筈の大名屋敷ですが
先に述べた抱屋敷の事情により
多くの庶民がこの庭園を楽しむことができたようです。


千代が池は昭和10年位まで
その名残を見れたそうですが
今では案内板にその名が残るのみとなりました。


哀しみの物語は長い年月を経て
水と共に浄化され
うつくしい思い出として絵の中に残りました。


つねきちも一途な気持ちで描いています。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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