川口のわたし 善光寺 ーかわぐちのわたし ぜんこうじー

歌川広重名所江戸百景より
川口のわたし 善光寺


水彩にて模写 つねきち


江戸時代、北区赤羽から向こう岸に向け
荒川を渡るためのわたし船がありました。


向こう岸は埼玉県川口市。


ここに長野善光寺にならって建立された
川口善光寺があり
長野と同じご利益があるというので
近郊の人々はこぞってお参りに行ったそうです。


この川は秩父から千住宿まで木材を運ぶ為の
重要な水路でした。





つねきちには珍しいシックな色使いが
この川の流れと深さを表しています。


波の線などがあるわけでもないのに
強い水流を感じます。


その昔、源頼朝が出兵をする時に
源義経がこの川を渡って兵に加わったそうです。


江戸時代には将軍の参拝や大名の通行もあり、
いつも渡船場の運営をしている岩淵宿と川口宿に
北区内の下村・浮間村・埼玉県戸田市内の早瀬村
が加わりました。



絵の右上にある家と人々。
歩いているのは川口善光寺に参拝へ向かう人たちです。


「牛にひかれて善光寺」
などといいますが、
日本最古の一光三尊阿弥陀如来を御本尊とし
宗派の別や女人禁制もなかった為
「一生に一度は善光寺詣り」
という風潮があり、大変賑わったそうです。





そのお寺の影響なのか
色合いや筆使いに厳かな雰囲気がありますね。


江戸百景の中に見える埼玉県の一部分。


江戸とは少し違う感じがありますが、
それほど田舎の土地でもない感じ。


実は、つねきちが生まれたのは埼玉県戸田市。


この川はいつも見ている色なのですね。


昭和3年の秋
ここに新荒川大橋ができ、渡船場はなくなりました。


昭和生まれのつね母からみたら
それほど遠い昔ではないです。


そんな風に親近感を覚えた作品です。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

0コメント

  • 1000 / 1000