飛鳥山北ノ眺望 ーあすかやまきたのちょうぼうー

歌川広重名所江戸百景 飛鳥山北ノ眺望

 あすかやまきたのちょうぼう 

 水彩にて模写 つねきち 


 東京都北区にある飛鳥山で 満開の桜を楽しむ花見客たち。 

 ここは江戸時代に 庶民が安心して花見ができる場所とするため 

徳川吉宗が享保の改革の一環として 桜を植えたそうです。 


桜は「一目で千本の桜が見える」といわれる 

 吉野山の吉野桜を植えました。 

今ではソメイヨシノと呼ばれる吉野桜は 

その成長の早さと若木から花が見られる事で選ばれました。 

また、吉野山では「神の木」として扱われ 

 枯れても薪にはせず 

 一枝折れば指一本切る、という厳則があり 

 何よりも桜の苗を寄進するのが一番の供養になるので 

 吉野山では次々と桜が植えられ 

 現在も約3万本の桜の木があるといわれています。 

今ではビルや工場が立ち並ぶこの場所 

 かつては広大な土地の向こうに 筑波山が見えました。 

 ここでも土器投げをする人々が見えます。 

 投げる土器は崖下の田畑に影響するので 

 土だけを材料に使っていました。 

 「あすか山 投げればもとの 土になり」という川柳があり 

ストレス解消にも周囲に迷惑をかけないよう 

人々の配慮があったようです。 

 この辺りでは土器投げできる場所が多くあり 

 愛宕山などでは小判まで投げていました。  

まるで宙に浮きながら見たような構図です。 

 吉野桜は成長が早い分寿命が短く60年といわれていますが 

 手入れしだいで100年以上生きている桜もあるそうです。 

 人も植物も同じですね。 

 桁違いの桜が咲く吉野山では その昔、

豊臣秀吉も花見をしたといわれています。

 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 

 浪速のことは 夢のまた夢 

 という句を晩年に遺した秀吉。 

 浪速=現実 

 人は小さいかもしれませんが 大きな夢を見ることができます。

 人に夢と書いて、儚い(はかない)。 

 なんとなく、寂しい印象がありますが 

 夢に向かい歴史の中で咲き誇った秀吉

と考えると 夢を叶えるキーワードのようにも思えます。

 叶った後の現実の方が、はかないのかも。

 だからこそ、沢山の素晴らしい思い出を作ろうと思います。 

 それが人の心を豊かにしますから。  



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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