木曽街道六十九次 木曾街道 大宮宿 冨士遠景

渓斎英泉/木曽海道六十九次

木曾街道 大宮宿 冨士遠景

きそかいどう おおみやじゅく ふじえんけい

【模写絵師つね吉】2023年ごろ水彩にて模写


「木曽街道六十九次」は1835年〜1837年ごろ 歌川広重と渓斎英泉が連作で描いた浮世絵のシリーズです。 (木曽海道と表記されることもあります) 江戸・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ69箇所の宿場 そして出発地点の日本橋 合計70枚で成り立っています。 「名所江戸百景」全120枚を描き終えた、つねきちが 次に挑戦したのがこちらになります。 

大宮宿はもとは浦和宿と上尾宿の間にある馬継場でしたが、徳川家康が関東制覇をする少し前に宿場として設けられました。

桜の花が咲く頃の清々しい富士山が見えています。

近くに住む農民でしょうか。鍬を持ち歩くその後ろには幼い子供が籠を背負い付き従う姿があります。当時の子供達は、こんなに小さいうちから働き手となっていたのです。


左側に立っている灰色の石碑は「庚申塔」(こうしんとう)と呼ばれ庚申信仰に基づいたもの。

この信仰では「人の体の中にはある虫がいて、その虫が庚申の日の夜になるとその人の悪行を神様に訴えに行く」ため、それを防ぐのにその日一晩中眠らないで行や宴会を行うそうです。

それが3年続くと庚申塔が建てられると言われています。


こちらは京都へ向かう旅人たち。

それなりの支度をして籠に乗る人もいます。

浮世絵描画が九年目を迎えるつね吉の、繊細な筆づかいをご覧ください。

まるでペン先で描いたような細やかさですが、全て細筆一本で描いているのです。


この地に伝わる「塩地蔵のおはなし」

その昔、妻に先立たれた浪人が二人の幼い娘たちを抱え旅をしていた所、この辺りで病に倒れてしまいました。困り果てていたところ、ある晩二人の娘たちの夢の中に地蔵菩薩が現れました。

娘たちはその菩薩様の教えに従い塩断ちをして祈り続けたところ、父親は奇跡的に回復をし旅を続けることができました。

その後その父親は昔の主君に雇ってもらうことができ、家族三人で幸せに暮らしたということです。

このおはなしにあやかろうと、沢山の人がこの地のお地蔵様に塩をお供えし祈りました。

現在、お地蔵様の場所は写されていますが、この風習は続いているそうです。


家族を思う優しい心が滲みでるような、つね吉のやわらかで温かいタッチが、江戸の早春を爽やかに彩る一枚です。






模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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