木曽街道六十九次 木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場

渓斎英泉/木曽海道六十九次

木曾街道  蕨之驛 戸田川渡場

きそかいどう わらびのえき とだがわわたしば

【模写絵師つね吉】2023年ごろ水彩にて模写


「木曽街道六十九次」は1835年〜1837年ごろ 歌川広重と渓斎英泉が連作で描いた浮世絵のシリーズです。 (木曽海道と表記されることもあります) 江戸・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ69箇所の宿場 そして出発地点の日本橋 合計70枚で成り立っています。 「名所江戸百景」全120枚を描き終えた、つねきちが 次に挑戦したのがこちらになります。 


この時代は江戸城防衛のため、荒川に橋をかける事ができなかった為、人々は川を渡るのに主にこうした船を利用していました。

お天気の悪い日は渡れないでしょうから、晴天の日は向こう岸に渡るチャンスです。

小さなわたし船でひしめき合うように、人や馬までのっかっています。

どんどん柔らかくなる、つね吉の描線ですが船頭の手足などは伸びやかに、生き生きとしています。


この渡しは1500年代後半からあったと言われていて、江戸時代には下戸田村という所が管理をしていたそうです。

初めは3艘だった船ものちに13艘に増えていきました。

明治時代に入り、木の橋ができるとわたし船は廃止となりました。


向こう岸に見えるのは、現在の蕨市にあたるそうです。


戸田市はつね吉の生まれ故郷。

現在も「戸田のわたし」と名のつく銘菓があるように

ここと荒川は切っても切れない

大切なご縁が続く場所です。

つね吉も母も、もちろんわたし船は見た事がありませんが

この川付近の風景

昔の名残がしっかり残る部分も

あるように思えます。


岸辺の緑には深い緑で趣を添え

船上には色とりどりの人々で明るさを出し

何よりも

どこまでも、やわらかな

やさしいタッチと雰囲気を

楽しんでいただける一枚となったようです。





模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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