霞がせき ーかすみがせきー
歌川広重 名所江戸百景より 霞がせき
つねきち水彩模写
シリーズ第2番目の絵が仕上がりました。
「霞がせき」は千代田区麹町付近で 現在の日本の行政機関庁舎が密集している場所です。
江戸時代には大名屋敷が並び、関所がありました。
絵の右側に福岡藩黒田家 左側には広島藩浅野家の屋敷が見えています。
お正月を祝う人々が集まっています。
奥の方にいるのが伊勢神宮に太神楽を奉納する一行。
新春の朝焼けを派手な赤で塗り つねきちは新年のめでたさを強調しました。
凧は平安時代に
中国から日本に入ってきたと言われています。
はじめは軍事目的で作られたものですが
日本では貴族の遊びとして普及していたそうです。
その形がイカに似ていたことから 江戸時代には「イカのぼり」「イカ」と呼ばれていましたが
大きな物を競ってあげるようになってから 落下によるトラブルが頻発し
「イカのぼり禁止令」が出されてしまいます。
それでもこのお遊びをやめられない人々は 「これはイカではなくタコだ」
「タコだからイカのぼりではない」 と言ってあげ続けました。
それで、いっとき 関東では「タコ」 関西では「イカ」と呼ばれていたそうです。
江戸っ子のテンポよい滑舌は
幕府の取り締まりも煙に巻いてしまったようですね。
「凧あげ」という名称で統一されたのは明治時代に入ってから。
空になびく姿を見ていると 糸を持つ人の気持ちもあがっていくようです。
この絵のように ご近所で集まり皆であげたら楽しい事でしょう。
千代田区内で働くつねきちも
江戸っ子テンポで仕上げました。
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