東海道金谷ノ不二 ーとうかいどうかなやのふじー

箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川 

 と、うたわれた静岡県の東海道金谷宿。    


この尋常ではない水流が、海ではなく川なのです。 

 激流大井川は 旅人たちの難所として 歌川広重の五十三次にも描かれています。

東海道五十三次の金谷宿

東海道五十三次の島田宿 (金谷宿の対岸)


だいぶ雰囲気が違いますね。

 気候によって流れが変わるようですので 五十三次では穏やかな日だったのでしょう。


そして三十六景では大雨の後だったのかもしれません。 

 まるで戦いの神輿を担いでいるようです。 

 北斎独特の水表現に 有無もいわさず引き寄せられていく気がします。 

 当時、橋のない川を渡る時 渡し方=背負うか籠に乗せるか また、水量によって料金が異なっていたそうです。 

 そして、もっと深い川になると 渡し船を使うわけですね。

大名行列の人や荷物を運ぶ れん台、と旅人の背負う風呂敷に 版元西村屋・永寿堂の 「寿」が描かれています。

旅人を背負った川越人足たちが なんと微笑んでいますよ。 

原画では苦しそうでしたが 時空を超えた仏様のようです。 

川を渡る時は単独ではなく こうして皆で一斉に進み 人の流れも利用していたわけです。 

絆が見えますね。


永寿堂の「永」の旗があります。 

 つねきちは「ふ」と描いていますが 7年前に亡くなったおばあちゃんの名前が 「ふみ」でしたので その一文字を思い出したのでしょう。

 まるで裸祭りみたいに賑わって見えます。  

この地域から見た富士の 頭の先が丸くなっているのが特徴だそうです。 右側に見えるのは満開桜ということは 季節は春先。 まだ肌寒い時期ですから 人足達も気合を入れて働いた事でしょう。

ここにも大和絵からの影響 雲の形をした霞があります。 

 その向こうにある黄色い物体は 蛇籠(じゃかご)といって 竹などを軽く編んだ所に石を詰め 河川の氾濫対策に使われたものだそう。 

 生き抜く人々の創意工夫です。

つねきちがこの下絵を始めた時に 完成できるのかしら、と心配になるほど インパクトが強く、手の込んだ難しい絵です。 じっさい時間もかかりました。 

 冨嶽三十六景を描き終えた北斎が 庶民からの要望でアンコールにこたえ描いた三十七枚目。

 磨き抜かれた技術の懇親が込められているはずです。 

 その轍を つねきちもしっかりとなぞっています。 

 波間の塗り方などは、特に教えてもいませんが 自分で色々考えて着色しています。 

 当時は版画として擦師が色の仕上げをしていましたが そこを水彩の細筆で 紙にくっつきそうなぐらい顔を近づけ 祈るような姿で描いています。 


 持てる限りの技術を駆使し 知恵を絞って 人との絆で 人生の荒波はきっと乗り越えられるでしょう。


  https://ameblo.jp/mikahikarimono/entry-12394816525.html




模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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