東海道吉田 ーとうかいどうよしだー
愛知県豊橋市にある吉田城のお膝元
「不二見茶屋」の店内から絶景の富士を眺める人々です。
大きい方の看板には「お茶漬け(御茶津希)」と書いてあり 下にある小さい方には「根本吉田ほくち」と書いてあります。 火口(ほくち)とは、火打ち石の石火を受けるもの。 この辺りの名産品だったようです。
油模写を同時進行させているつねきちの 色づかいに変化が見えています。
鮮やかさに深みが加わり、立体的に感じます。 細かな部分もきちんとしていて 、右端にある木の質感などにも面白味が出ています。
奥でくつろぐ男性の手前には、草鞋の紐を結ぶ男性がいて その笠には「永」そして腹巻きには「寿」の文字があり お約束、版元永寿堂の宣伝広告です。
そして江戸時代のアイドル・茶屋娘たち。 彼女たちを目当てに通っているお客さんが沢山いました。16歳〜18歳の容姿端麗な娘さんたちは ファッションリーダー的な存在で、 中には家柄のよい娘もいたり、逆に玉の輿にのるなど 同じ女性たちから見ても、憧れのまとだったようです。
美人ランクの高い茶屋娘を置いている店では 通常の10倍の代金を取る事もあったといいます。
それで益々通いたくなってしまうのがまた人情。 富士は見えるわ、美しい茶屋娘もいるわで 不二見茶屋はさぞかし繁盛した事でしょう。
諸肌脱いでいる男性は 草鞋を砧(きぬた)で叩いて、柔らかくしています。
藁が硬いと足を痛めてしまいますので、こうすることで履きやすくなります。
永遠のアイドルはやはり富士山でしょう。
富士を不二と書いた理由には様々な説があります。
他に二つとない山=不二山という意味であるとか、北斎が画数にこだわっていたから、とか・・・。
冨嶽の富の上の点がついてないのも偶数より奇数の方が縁起がいいからと言われていたりします。
絵の中にある火口のように、この時代の人々が縁起やゲン担ぎをしていたのは間違いないようです。
日本が発展途上を進む暫くの間、人は目に見える確かなものに傾いていたように思えますが、最近はスピリチュアル的な事にも注目が集まり、大自然と人との原点に的が重なる時代となってきました。
何も考えず、ただ無心に模写をするつねきちの絵を見ていると、古きをたずね新しきを知るという言葉を思い出します。
新しい道への羅針盤が埋め込まれた絵たちは、いま私たちに強い磁場でその想いを伝えています。
つねきちは天然チャンネルのメッセンジャー。
そう考え、共にいまを楽しみ味わいながら続けていく日々です。
東海道五十三次の吉田宿はこちら
0コメント