相州仲原 ーそうしゅうなかはらー

相州仲原は 現在の平塚市相原平野にあたり、この地は 風景よし、富士見える といわれていました。 

富士の右前にあるのは大山には、江戸時代、大山詣として多くの庶民が集まっていました。


絵の中央に立っているのは 、大山詣の御本尊 不動明王の石仏。 

 その前を厨子に入れた仏像を背負った、巡礼の父子が歩いています。

当時、六部と呼ばれた民間の修験者は、六十六回写経したものを六十六箇所の霊場に奉納して回りました。 

  この巡礼には多額の経費がかかる為 (なにせ六十六箇所も訪れ、 お経と一緒にお金も奉納していたといいますから) 願主・スポンサーがついている事がありました。

 奉納の際に印を貰った帳面が 現在の御朱印帳になったと言われています。 

 この帳面はお札(おふだ)のようなもの 六十六の霊場ぶんがあれば最強の御守りになりますね。  

 赤子を背負い、昼弁当を持ち上げた女性が 板の橋を渡っています。 

 それを振り返り見守る天秤棒の男性は 旦那さんなのでしょうか。 

 共に働き一家を支える庶民の姿が見えます。

川でシジミを採る男性。 

 自然との共存、人との絆を 北斎の描く舞台が、わかりやすく示してくれています。  

人出を見込んだ行商人たちもいます。

右側の人が持つ風呂敷には 版元西村屋の紋が描かれています。

 広重や北斎、ゴッホなどの模写を続けてきたつねきちの描線は一段と柔らかになりました。 

 優しい質感に、彩色のバリエーションも増えたようです。  

不動の富士がいるだけで、景色は特別なものになります。

神とも呼べる存在と移り行く人々の姿を対照的、象徴的に描いた北斎。

その不動の想いが模写を透し私たちの元に伝わります。

そして、いつの世も助け合って生き抜いていく人々の絆もまた、不動であると教えてくれているようです。



模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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