目黒爺々が茶屋 ーめぐろじじがちゃやー


歌川広重名所江戸百景より

目黒爺々が茶屋

めぐろじじがちゃや

水彩にて 模写絵師つねきち


現在の中目黒から三田付近のあたりには

「茶屋坂」と呼ばれる場所があります。

江戸時代、そこにあった茶屋は

将軍達が鷹狩りをした際の

休憩所として使われていたそうです。

田園地帯が広がるこのあたりは

大変見晴らしがよく

遠くの富士山まで、くっきりと見えていました。

今ではおしゃれな住宅街というイメージの目黒ですが、

昔はのどかな田舎の雰囲気があったようです。

右下の方に見えているのが茶屋です。

茶屋の主人は彦四郎さんといい

とても素朴なお人柄だったので

ここに立ち寄った3代将軍家光は

彼のことをとても信頼し、

「爺、爺」と呼んで話しかけたそうです。

それで、この店は「爺々が茶屋」と

呼ばれるようになりました。

将軍さまご一行がお茶をする度に

店には銀一枚(=約54,000円)が支払われたそうです。

また、この地は落語「目黒のさんま」の舞台にもなっています。


*「目黒のさんま」のお話

ある鷹狩りの際に、ここに立ち寄った将軍は

ひどくお腹をすかせていたため

側近が茶屋に食事を用意するよう言いました。

茶屋の主人は、こんな田舎で将軍様の口に合う物などない

と、大慌てになりましたが

ひとまず台所にあったさんまを焼いて出しました。

すると、これを食べた将軍は

「こんな美味い物は初めて食べた」と、大喜び。

屋敷に戻ってから家臣に

同じ物が食べたい、さんまを持ってくるように、

と申しつけましたが

お城で丁寧に調理されたさんまは

頭や骨や油など

旨味の部分が全部取ってあり

これを食べた将軍は驚いて

「このさんまはどこで買ってきたのか」

と聞くと、家臣が

「日本橋魚河岸でございます」

とこたえましたところ

将軍は「それはいかん。やはりさんまは目黒に限る」

とこたえた、というものです。


この落語にちなみ

目黒では毎年”さんま祭り”が行われています。

爺々が茶屋で出されたお茶は

この地で湧いた清水を使ったもの。

その水は昭和に入ってから

大空襲での消火用や炊き出しにも使われ

人々の命をつないでくれたそうです。

将軍さまの心まで癒したこの場所に

つねきちも、秋の実りを色差しながら

空気まで清らかに描きました。

人々が末長く

静かで優しい気持ちで住めるよう

思いを込めた作品です。

模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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