猿わか町よるの景 ーさるわかちょうよるのけいー

歌川広重名所江戸百景より

猿わか町よるの景

さるわかちょうよるのけい

水彩にて 模写絵師つねきち



現在の台東区浅草6丁目付近にある猿若町は

江戸時代、芝居町として

多くの人々で賑わっていました。

猿若町、という名前は

江戸歌舞伎の創設者である

中村座・座長の猿若勘三郎からとって

つけられたそうです。

暮れ六つ(午後6時)を過ぎた頃、

南の空に月が見えており

賑やかな場所で

秋の趣を感じさせます。

当時は電灯もなかったので、

お芝居は明るい早朝から夕方にかけて

開催されていました。


小屋の屋根に並んでいる、格子状の箱は

幕府から催しを許されたしるし。

右側に並ぶのが、森田座・市村座・中村座で

左側は芝居小屋となっています。

つねきちワールドの江戸人は

歌舞伎や芝居を楽しんで、これから帰るところ。

おもちゃ箱から飛び出してきたような

雑多な雰囲気で歓談しています。

犬や猫も歩いていますが

この時代は、誰に飼われるというわけでもなく

皆に可愛がられていたようです。

江戸庶民の家には

「犬くぐり」といって

犬や猫が通れる小さな扉もあったとか。

お客の呼んだ籠を見送る女性が

縁側からせり出しています。

右上にいる寿司屋は店じまいを始め

提灯を持つ人々が家路につきます。

当時は三日がかりで

芝居見物に来る人もいたそうです。

明治時代に入ると、舞台には照明が導入され

夜も上演ができるようになり

その後、歌舞伎では

人に影がかぶらないよう

独特の照明がなされているそうです。

絵の中では

月に照らされた人の影が

くっきりと映っていますが

この手法に影響を受けたゴッホが

後に「夜のカフェテラス」を描いています。

(”ゴッホ・夜のカフェテラス” つねきち油彩模写)

確かに、そう言われて見ると

構図や雰囲気が広重のものに似ていますね。

お月様にとってみたら

江戸と令和や

広重とゴッホも

区別はつかないかもしれません。

そう、実はつねきちにも

それはわかっていないのです。

そのままの絵を

初心(うぶ)な心でうつすだけ。

やさしくて、あたたかで

心地よいひんやり感のある

月夜の一枚となりました。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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