深川三十三間堂 ーふかがわさんじゅうさんげんどうー

歌川広重・名所江戸百景より

「深川三十三間堂」

ふかがわさんじゅうさんげんどう

水彩にて 模写絵師つねきち


現在の東京都江東区にあった

深川三十三間堂(江戸三十三間堂)では、

南側から北側まで射抜く「通し矢」が行われていました。

この細長いお堂は、京都の三十三間堂を模したもので、

御本尊は千手観音。

「通し矢」も元は京都で行われていた競技で、

約120メートル以上もある南北の距離を

弓矢で射抜き

その数を競うもので

建物の柱の間が三十三ありました。

人々はみな左側(南)の方を向き

弓矢のゆくえを目で追っています。

つねきちワールドの住民が醸し出す

ちょこんとした仕草に、思わず笑みが込み上げます。


武術の稽古としてされた事が

いつしか競技となり

有力な藩では用具や技術に多額な費用をついやし

射手を育てていました。

はじめは一昼夜で100本中51本射抜いた者が

天下一とされましたが

だんだんエスカレートして

一万本以上も矢を使うようになったそうです。

お堂の脇には、よしず造りの茶屋が並び

「通し矢」を見物に来た人々からの

経済効果を感じられます。

また、お堀に浮かぶ材木が

この辺りに存在した材木問屋の多さをしめしています。

それにしても、一人で一万本以上の矢を放ち

その8割を120m先まで飛ばせる人がいたとは

江戸びとの強靭さに

驚かされます。

その時に磨かれた技術は

現代の弓道に生かされているそうです。

「通し矢」は今では年に一度、京都の三十三間堂で

60mを射抜く「大的全国大会」として

催されています。


幾多もの疾走が手に入る、この時代において

三十三間堂の姿は未知の世界。

切れ目なく描かれた赤いお堂では

過去・現在・未来を一つに射抜き

終わりのない夢や憧れが

走り続けているようです。

模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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