角筈熊野十二社 ーつのはずくまのじゅうにそうー


歌川広重 名所江戸百景より

角筈熊野十二社

つのはずくまのじゅうにそう

水彩にて 模写絵師つねきち



角筈は現在の新宿区西新宿、

都庁のすぐ近くにあたります。

室町時代から、紀州熊野神社で

神職を務めていた鈴木氏の末裔、鈴木九郎は

先祖が源義経に従い没落したのち

現在の中野〜西新宿辺りまで流れつき

そこで成功して、中野長者と呼ばれるまでになります。

そして九郎が建てたのは

自身の故郷にあるものと同じ

熊野十二所権現を祀った

熊野神社でした。(絵の左下)

九郎の財はその後もどんどん増えてゆき

財産をしまう場所が足りない為

よそに埋めて隠し、

その時の使用人を口封じのため

亡き者にした、とか

娘がある日大蛇になり消えていったなど

様々な伝説まで飛び交うようになりました。


しかし、九郎の娘が18歳の若さで亡くなった事は

事実のようです。

これを、ひどく哀しんだ彼は

残りの人生を仏門に生きることとなりました。

九郎がいつも持ち歩いていた

修行者の杖の呼び名=角筈(つのはず)は

この辺りの地名となり

今でも住所にはありませんが

バス停や橋の名前として残っています。

この池も時代の流れと共になくなり

現在は新宿中央公園の敷地となっているそうです。

反対側には繁華街が広がる

とはいえ、コロナ渦の中で

さまざまな課題を抱える地域です。


栄えたり、大変になったり

予測のつかない波に

洗われ続けるのが、人の世。


つねきちが塗った水の流れ(手前の方)

その形が

大蛇やブルドーザーの手のように

見えるのは、私だけでしょうか。


静かで美しい景色を

眺め続ける事ができる

その、ありがたさを

忘れてはいけない、と思うのでした。


模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目は時空を超えて当時の景色をそのまま映しているのです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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