外桜田弁慶堀糀町 ーそとさくらだべんけいぼりこうじまちー
外桜田弁慶堀糀町
そとさくらだべんけいぼりこうじまち
歌川広重名所江戸百景より
水彩にて 模写絵師つねきち
現在の桜田濠は、当時弁慶濠と呼ばれており、
この辺りに小路が多かったことや
幕府御用達の麹屋があったことから
糀町(こうじまち)と名付けられました。
絵の左側にあるのは、彦根井伊家の屋敷の赤い門。
井伊家は今川義元に仕えていましたが、
桶狭間の戦いを転機に
その後徳川家の家臣となりました。
戦国〜安土桃山時代にかけ
活躍をした井伊直政は
家康の重臣に抜擢され
徳川最強の軍団「井伊の赤備え」
を率いた事で有名です。
直政は武功だけでなく、政治的手腕にも優れ
大変な美男子だったそうです。
絵の右側には広重定番の火の見櫓が見えていて
そのやや下辺りに鉢巻土居があります。
鉢巻土居は江戸城の城壁で
経費節減の為、壁の上方を柵にしているところが
鉢巻に見える事で、そう呼ばれました。
また土塁の上に松が植えられており
その枝が下向きで目隠しになるようで
この部分は現在も残っているとのことです。
安政の大地震の直後に描かれたという
この作品は
人々が日傘を持ち、羽織を着たり着なかったり
それぞれの服装なので
気温の変わりやすい春〜夏の時期である
と言われています。
井伊直政の子孫である
井伊直弼(いいなおすけ)は
幕末に大老となり
日米修好通商条約の締結や
安政の大獄など
歴史上のキーワードとなる
重要な出来事の中心なりました。
この絵が描かれた数年後
直弼は桜田門外の変により
生涯を閉じています。
今もたおやかに流れる桜田濠には
国の歩みを進めてきた
祖先の想いが映し出されています。
そしてこの風景が
いつまでも、のどかで美しくあるように
見守ってくれているような
そんな雰囲気のある一枚です。
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