吾嬬の森連理の梓 ーあがつまのもりれんりのあずさー

歌川広重名所江戸百景より

吾嬬の森 連理の梓(楠)

あづまのもり れんりのあずさ(くす)

水彩にて模写つねきち


現在の墨田区立花に当たる場所です。

吾嬬とは「わが妻よ」という意味で、

連理は一つの根から二つの幹が出ている木のこと、

梓は楠(くすのき)の誤りだと言われています。

その昔、日本武尊(ヤマトタケル)が東に遠征の際

相模から上総に向け海(東京湾)を渡ろうとしたところ

嵐で進めなくなりましたが

日本武尊の妻である弟橘媛(オトタチバナヒメ)が

入水して海神の怒りを静め、

その着物が流れ着いたこの地に

吾嬬権現社が建てられました。

絵の右端には鳥居があり、

そこを左へ折れた先にその社が見えます。

この正面に見える大きな木が連理の楠。

妻を供養したのち食事をとった日本武尊が

箸をさした所から

この楠が伸びてきたそうです。

その辺りに草木が生い茂り、吾嬬の森となりました。

森は小山のように広がり

海の上で目印にもなった為、

吾嬬権現は海上守護として崇められました。

弟橘媛の名前にちなみ

この場所には立花という地名がつきました。

森は明治時代の洪水や

関東大震災・東京大空襲により失われましたが、

今でも墨田区の登録文化財として

吾嬬森碑(あがつまもりのひ)が残っています。

また、ここより少し離れた場所にある

亀戸浅間神社には

弟橘媛の笄(こうがい=かんざしのようなもの)

が流れ着いたそうです。

そう聞くと、その時の海や入水の様子が

妙に生々しく感じられます。

夫のため国のために海の生贄となり、

嵐を静めた弟橘媛。

現在では想像もつかない世界です。

一途な魂はやがて人々を守る海の神となり

そんな言い伝えもまた

人の心を穏やかに鎮めることでしょう。

そんな風に強く優しく

輝き続ける魂を持ちたいものです。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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