光る家

ヴィンセント・ファン・ゴッホ  黄色い家 1888年 

 油彩にて模写 つねきち 


 この年フランスのアルルでこの家を借りたゴッホは 陽光で黄色になる建物を 「黄色い家」と名付け絵を描きました。 

 ここでゴーギャンをはじめとした画家仲間と 絵に囲まれた暮らしを夢見ていたのです。 

 絵の中央にある建物の 2階、緑の窓のある部屋がゴッホの住まいでした。 

 そこに自ら描いたひまわりの絵を飾って 室内まで黄色づくしにしていたそうです。  

ピンクの日よけがある建物は ゴッホがいつも食事をしていたレストラン。 

 ここの女主人は彼の宿主でもありました。 ゴッホは黄色い家に入居する前には このレストランで生活をしていました。  

緑色で窓の開いている方がゴッホの客室で 当時、経済的に苦しかったゴーギャンが 

 ここに9週間ほど滞在していました。 

 左横にはゴッホの寝室がありましたが、 まだ家具や寝具もない状態だった為 

 3軒隣のカフェの一室を寝室として借りていたそうです。 

 そのカフェの絵は 以前につねきちも油彩にて模写をしています。  

白い煙をはきながら機関車が走ります。 

 この辺りにはガスパイプがひかれていて 後からゴッホの部屋にもガス灯がともったそうです。 

 ゴッホとゴーギャンの共同生活は はじめ極めてうまくいっていましたが 時が経つにつれ、

お互いの強い個性がぶつかって 「耳切り事件」を機に決裂してしまいました。 

 「耳切事件」とは 自画像に取り組んでいたゴッホが ゴーギャンから「耳の形が変だ」と言われ

 衝動的に自分の耳たぶを切り落としてしまった事件です。 

 ゴーギャンはすぐにゴッホの弟テオを呼び寄せ 自分はパリに帰ってしまいました。 

 その後の入院生活を経たあとゴッホは この黄色い家に戻り 耳に包帯を巻いた姿の自画像を手がけています。

ゴッホの元絵の空は青でしたが つねきちは紺色で夜の景色のように見えます。 

 色の対比も強く、蛍光色のように建物が光って見えます。

 この家は第二次世界大戦時に破壊され 今では樹木が植えられた中に 

 「黄色い家」の看板だけがあるそうです。

 さまざまな逸話がのこる、幻のアトリエを 

 つねきちは静かに、時間をかけて描きあげました。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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