にい宿のわたし ーにいじゅくのわたしー

歌川広重名所江戸百景・秋の部より 

 「にい宿のわたし」 

 つねきち水彩にて模写 


 現在の葛飾区で、亀有と新宿(にいじゅく)の 

 間を流れる中川における風景です。 

 この時代では防衛の為 

 市中に橋をあまり架けていなかった為 

 こういった渡場が多くありました。 

 絵にある景色は 亀有側から新宿(にいじゅく)を見た 

という説が強いようです。

手前にいる船は、江戸に向かっているところ と、

言われています。 

 遠くに見えるのは筑波山で 

 その前に広がる、のどかな農村に 

 赤い靄が、美しい彩りを連ねています。

今日はつねきちワールドの住人達がたくさんいます。 

 渡し船の順番を待つ人、釣りをする人 

 そして皆が向かうのは 当時、亀有で人気だった料亭 

 「ふじみ屋」と「千馬田屋」だと言われています。 

 名物は、川で獲れた鯉と鰻。 

 鯉はクセの強い魚というイメージがあり 

 現代では、あまり食べられませんが 

 昔は高級魚とされていました。 

 「急流を乗り越え龍となり天にのぼる」 という伝説や、

立身出世の意味もあり 

 戦国時代には、贈り物やお祝い事に使われたそうですよ。 

 江戸時代の鯉料理は「活き造り」が人気で 

 焼いたものは、御供膳(おみおぜん) 

 ※切腹の前に出される膳 に使われたようです。

また、現代でも人気の「鰻」の方といえば 

 江戸時代に「蒲焼き」が開発され 

 お店で食べるだけでなく、出前も多くされていました。 

 この際に、冷めやすい鰻の味が落ちないよう 

 温かいご飯に挟んで届ける

「鰻ごはん」が 考案されました。 

 それも、一つ2,000円ほどだったので 

 庶民の口にはなかなか入らなかったようです。 

 皆がよく食べるのは 屋台で売られる

ひと串500円ほどの鰻。 

 平賀源内の「本日、土用丑の日」 

 というフレーズも注目を浴びていました。 

 一枚の絵から当時のさまざまな文化や 

 風俗が伝わってきますね。



つねきちの絵の中に入るお話

よろしければ、こちらもご覧ください。


模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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