身延川裏不二 ーみのぶがわうらふじー

葛飾北斎冨嶽三十六景の四十六枚目である山梨県南巨摩郡身延町。

この地にある身延山は 日蓮宗総本山久遠寺(くおんじ)の里です。

そこへ参拝する旅人たちが歩く道は 身延道(みのぶみち)と呼ばれていました。

険しく切り立つ山々に囲まれた富士山は、まるで戦国の武将達に守られる大将のような存在感です。

ざくざくした山の肌合いを和らげる 泡のように滑らかな雲。

つねきち流のコントラストが効いています。

籠に乗るのは歩くのが困難なのか 裕福な旅人でしょうか。 

 岩場の細かな部分まで つねきちがびっしりと描き込んでいます。  

駄馬の描き方も上達しました。たくましい感じの四肢ですが どこか愛嬌のある馬です。

 きちきちと手の込んだ掛け布の模様は つねきちがデザインしたもの。 

 これが不思議と全体に馴染んでいて 手作り風の温かみが良い感じです。  

粗めの解像度ですが、拡大しても味があります。

障害特性である形式ばった感じの模写になってきました。

とはいえこれがまた持ち味でもあり、この部分だけでもきちんとした一枚で通用しそうです。

こちらは行商の人たちでしょうか。参拝客にものを売るように見えます。

 激流・富士川の側を歩いていますが 、にこやかで楽しそうなのもつねきち流。 

 足元の影が立体感を持たせ、ここに旅情が見える気がします。

冨嶽三十六景は 発売当時、庶民に大人気で その後何度も増版されました。 

 そこには神絵師・北斎の技量だけではなく、作品から感じ取れるエネルギーと勢いがあったのだと思います。 

 追加された十枚を合わせると全四十六枚。 

 つねきちの絵をアップするごとに母もたくさん勉強させて頂きました。

 静岡から見えるのは表富士、山梨から見えるのが裏富士と呼ばれているとか、人が人を背負って川を渡す仕事があったり、静岡ではお茶を税金として納めていた話…。

 それから江戸時代のアイドルは茶娘だったとか、佃島には大阪の漁師さん達が移住していたこと。 

 どの土地にも興味深い歴史があり 今の私たちの目には新しく映る筈です。


これらの絵は時代を超えた観光ガイドであり、厳しい大自然の中で生き抜いた人々を描く絵師は、

その文化を伝えるジャーナリストとも呼べます。 

 今より何倍もつらい事が多かった時代の筈なのに、旅人たちは活気に溢れ、職人たちは光り輝き、この世にいる楽しさを満喫しているようです。 

 

便利になったこの時代でそこから得るもの。 

それが私たちを救い未来へ導く羅針盤に なってくれるに違いありません。 




 葛飾北斎冨嶽三十六景の模写はこれで最終となります。 

 ご覧頂きありがとうございました。 



 つねきちの模写の旅はまだまだ続きます。  



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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