市ヶ谷八幡 ーいちがやはちまんー

歌川広重名所江戸江戸百景・春の部より

市ヶ谷八幡

いちがやはちまん

水彩にて 模写絵師つねきち


現在の千代田区九段北あたりにあった

江戸城・市ヶ谷御門には

1479年に太田道灌が

江戸城守護のために

鶴岡八幡宮から分霊をしてもらい

亀岡八幡宮として、ここに置きました。

その後江戸城周辺が整備されると

市ヶ谷社地内にこれを移しましたが、

太田道灌のなきあと

次第に荒廃してしまいました。


三代将軍家光の代になり

家光と桂昌院(家光の側室で綱吉の母)が

莫大な援助をし

これにより社は賑わい

市ヶ谷は大いに栄え

亀岡八幡宮の祭礼には

いなせな男衆や美しい娘たちが

たくさん集まってきたそうです。

綱吉の時代になると

その側近で権勢を誇っていた

柳沢吉保も詩歌を献上したり

露天に並ぶ品物を

全て買い上げたりしたそうです。

派手なお祭りを楽しむ

つねきちワールドの住人たちが見えています。

右上に見える本殿の屋根の赤と

鳥居付近に見える赤が

当時のはなやぎを表すようです。

木々に生い茂る葉の描写を見ると

つねきちがこの絵を仕上げるまでに

驚くほどの月日を重ねていることがわかります。

それは栄えるこのパワースポットに

重厚な雰囲気を添え

絵全体を引き締めています。

模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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