せき口上水端はせを庵椿やま ーせきぐちじょうすいばたばしょうあんつばきやま ー
歌川広重名所江戸百景より
せき口上水端はせを庵椿やま
水彩にて 模写絵師つねきち
神田上水は
江戸時代、人々の暮らしに使う為の水路で
題にある せき口=関口(地名)
上水=神田上水、という意味だそうです。
この、水路の改修工事が行われた際に
俳人・松尾芭蕉が手伝いをしたといいます。
工事の手伝いといっても力仕事ではなく
人夫の帳簿つけなどの事務仕事だったようです。
この時に芭蕉は付近にある
竜隠庵という所に住み
そののち、芭蕉の没後に弟子が建てたのが
絵の右側にある芭蕉庵。
はせお庵=芭蕉庵、というわけです。
門の左側にある木は
夜寒の松(よさむのまつ)と呼ばれていました。
芭蕉庵は現在の文京区に
関口芭蕉庵として残り
夜寒の松は枯れてしまいましたが、
かわりに置かれた夜寒の碑には
「二夜鳴き 一夜はさむし きりぎりす」
という句が刻まれているそうです。
庵の上にある丘=椿やま
今では椿山荘が建っています。
椿の名所でもあったこの水辺を
江戸の人々が散策する姿から
のどかな早春の空気を感じられます。
土地の様相は変わりますが
この地に込められた思いや文化は根付き
当時の名残は季節の風とともに
いつまでも吹いている事でしょう。
たくさんの宝物を残してくれた
私たちのご先祖に感謝をしたいと思います。
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