蒲田の梅園

歌川広重名所江戸百景より

蒲田の梅園

水彩にて模写 つねきち


現在の東京都大田区蒲田の辺りは

昔から梅の木の栽培が盛んで

梅干しの名産地となっていました。

そののち梅の花を鑑賞するようになり

江戸文政の時代に山本久三郎という人の

三千坪もある庭園には

梅の木が沢山植えられ、茶屋が置かれました。


もともとこの地には

東海道の旅人に薬を売る店が並び

販売を競っており

久三郎の店もそのひとつでしたが

大人気の庭園のお陰で

とりわけ商売繁盛していたそうです。

庶民にとって薬は江戸時代からやっと解禁になったもので

テレビドラマでも有名な水戸黄門・徳川光圀は

庶民の為に薬草や健康法をまとめた本を

藩医に作らせ

そのお陰で人々に薬が広く普及しました。

当時、最も効能が高いといわれた朝鮮人参が

一両(現在の約75,000円)といわれた中、

ここで売られていた和中散という薬は

ひと袋300円ぐらい。

庶民には常備薬として重宝がられたそうです。

和中散はびわの葉や桂枝(ニッキ)が主成分の万能薬でした。


右側の木の後ろに見えるのは

久三郎が趣味で置いたという

俳句が刻まれた石碑です。

今でもこのレプリカがこの地に置かれているようです。


手前に見えるのは梅を見に来たお客の籠のようです。

現代風ならタクシーを待たせて

梅見物をしているようなものですね。

この籠模様や布の柄を

つねきちは個展開催中

ギャラリー蔵の中に机を置いて

お客さま達に披露しながら、楽しんで描いていました。

その気楽な姿を見て

思わず笑ってしまいましたが、

絵には手を抜かずしっかりと仕上げていますね。




広重がこれを描いた10年後に

明治天皇が梅園に立ち寄り、大変気に入られたそうです。

今でも存在するこの庭園は

もう三千坪ではありませんが

美しい梅の木が並び

当時の繁栄が目に浮かぶようです。

薬を売るだけでなく

庶民のくつろぎと楽しみの場を作り

ひときわ栄えた久三郎の庭園と薬店。


目線を変え工夫を加える事で

人々も自分自身も世界が広がり

それは生きる楽しみとなることでしょう。

さて私たちも

できる事からひと工夫

知恵を絞ってやってみましょうか。



模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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