中川口 ーなかがわぐちー

歌川広重・名所江戸百景・夏の部より「中川口」

模写絵師つねきち水彩にて 


 河川での流通が要となっていた江戸時代。 

 人や荷物を運んだり、漁をする船が浮かぶ 

 複数の川の合流地点を描いたものです。 


 徳川家康が江戸城に入った1590年 

 兵糧に使う塩は大変重要なもので 

 家康は下総(千葉方面)に塩田を置き 

 江戸まで運ばせていました。 

 そのために作られたのが 

 絵を縦に流れるふたつの川。 

 これらは塩田(行徳塩田)の名にちなみ 

 行徳川とも呼ばれていたそうです。

こちらが絵の上部になります。 

 左側を縦に流れるのが「新川」で 

 右にあるのが「中川」

 漁船と材木を筏にして運んでいるのが見えます。


絵の下側にいきます。 

 こちらが小名木川(おなぎがわ)。 

 現在の江東区内にある川です。

 先に書いた通り、最初運ばれていたのは塩でしたが 

 戦がなくなっていった為、

塩以外の物資や 

 人々も船で運ばれるようになりました。 

 使われる船は「行徳川」にちなんで 

 「行徳船」と呼ばれ 

 毎日たくさんの往来で溢れていたそうです。 


 また、絵の下に見える黄色い屋根は 

 船番所(関所)のもの。 

 当時、伊豆と並んで検閲が厳しいと言われた場所です。 

 特に、大名の妻女は人質と扱われていたので 

 (逃げないよう) 絶対に通れない、とされていました。 


 「貧しくても自由に出歩ける身分」 

 「出歩けないけど、良い所の奥様でいられる」 

 もしも江戸時代に生まれていたら 

 自分はどちらを選ぶのかなあ、なんて思いました。

鬼のような取り締まり、とは言っても 

 実際には寺社にお参りに行く場合は 

 許されたりもしたそうです。 


 特に時代と共に、どんどん緩くなっていって 

 通ります 通れ 葛西のあうむ(おうむ)石 

 という川柳も生まれています。 

 「通りますよ〜」と言えば 「通れ〜」

なんていう声が 飛び交っていたのでしょうかね。 


 川の水色や船番所の屋根、木々の色合いが 

 しっとりと落ち着いた自然の味を 醸し出しています。 

 そして、つねきちワールドの人達も 

 船上でガヤガヤしながら 

 平和なひと時と楽しんでいる。 

 そんな水の都・江戸の姿を  垣間見せてくれる一枚です。   

模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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