高田姿見のはし俤の橋砂砂利 ーたかだすがたみのはしおもかげのはしすなじゃりー

歌川広重名所江戸百景・冬の部より

高田姿見のはし俤の橋砂利場

たかだすがたみのはしおもかげのはしじゃりば

水彩にて 模写絵師つねきち

現在の豊島区にあり、神田川に架かる

「面影橋」は

江戸時代、美しいアーチ型の太鼓橋でした。

このあたりは「山吹の里」と呼ばれ

太田道灌の伝説で有名な場所です。

太田道灌が鷹狩りで、この地を訪れた際

急な雨に降られてしまった為

近くにあった一軒の農家に立ち寄りました。

そこで蓑を借りようと声をかけたところ

一人の娘が出てきて

山吹のひと枝をそっと捧げました。


道灌は話が通じないと憤り

そのまま帰って家臣に話すと

「七重八重花は咲けども山吹の

実の一つだになきぞ悲しき」

という和歌(兼明親王)のことを

教えてもらいます。


「山あいの茅葺き屋根に住む貧しい身なので

蓑(実の)一つも持っておりません」

という意味を知った道灌は

この後、和歌の道を精進するようになった

と言われています。


現在の日暮里駅の付近には

その太田道灌と農民の娘の

銅像が設置されていて

上記のお話が記されてあります。

つねきちが大事に使っている水彩絵具で

丹念に描かれた橋。

橋の外側には手すりなどもありませんが

苔などがみっちりと生え

しっかりとした存在感があります。

そこを歩く人々からも

つねきちワールドの味わいを感じますね。

江戸時代において、この橋は

俤橋(おもかげばし)と呼ばれたり

姿見の橋と呼ばれたり

姿見の橋は別にあったと言われたり

諸説があるようです。

また、砂利が多くとれた事から

題名にも「砂利場」と書かれています。


うちわであおぐほど

沢山の蛍がいたと言われる場所です。

本当に美しい景観だったことでしょう。

溢れる自然の中から

優しい水音が聞こえてきそうで

しっとりと仕上げられた一枚になりました。

模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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