鉄砲洲築地門跡 ーてっぽうずつきじもんぜきー

歌川広重名所江戸百景・秋の部より

鉄砲洲築地門跡 てっぽうずつきじもんぜき

水彩にて 模写絵師つねきち


江戸時代初期の頃に起きた

明暦の大火以降

幕府は復興の為に

海を埋め立て土地を築きました。

これがそのまま地名となったのが「築地」です。

その埋立地に建設されたのが

大きな屋根の築地本願寺。

そしてその前に立ち並ぶ家々。

このほとんどが武家屋敷だったと言われています。

さらにその手前に見える石積みは

今でいうテトラポッド。

波を避ける工夫は当時から使われていました。

その上で釣りをする人々が見えています。

積荷を積んだり漁師を乗せた船に見える

つねきちの細やかなタッチから

素朴なぬくもりを感じていただけますでしょうか。

全体を爽やかに引き締める

2艘の白い帆掛船は

ここが海軍発祥の地であったことを

表しています。

ペリー黒船来航後

幕府は長崎に海軍学校を作りましたが

江戸から遠かったので

結局この築地で作り直したそうです。

この時学長となった中心人物が

勝海舟だということです。

この絵が描かれる2年ほど前

江戸は明暦の大火による痛手を被っていました。

本願寺の立派な姿も

実は広重がイメージで描いたと言われています。

復興に対する強い願いが

霞雲の向こうに込められています。

大屋根を道しるべとしていたのは

人々だけではありません。

海辺を回るゆりかもめ達を

水彩独特の柔らかい線で

優しく丁寧に描いたつねきちの筆が

さざ波立つ秋の築地を

よりいっそう爽やかに演出しています。

模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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