虎の門外あふひ坂 ーとらのもんがいあおいざかー

歌川広重名所江戸百景より冬の部・虎の門外あふひ坂

つねきち水彩にて模写


江戸時代、虎ノ門は江戸城において

特に重要な場所であり

赤坂の溜池は飲料水を溜める貯水地として

こちらも大切な水場となっていました。

その間を流れる水路が行き着くのが

こちらの堰(せき)で

水が落ちる時に聞こえる音から

「赤坂のどんどん」と呼ばれていました。

その「どんどん」の横にあった坂を

冬支度の庶民たちが往来しています。

坂の上にある辻番所で

生い茂っていたのは立葵(タチアオイ)という植物。

この立葵にちなみ、この坂は

葵坂と呼ばれていました。

そして葵坂の麓に並ぶ蕎麦屋。

つねきちの細やかな筆遣いが光ります。

その前を歩いている二人は

近くにある金比羅さまに寒詣(かんもうで)

に向かうところです。

寒詣とは裸参りともいい

年季奉公中の見習い職人が

技量向上を願い

冬の30日間お参りをする行だそうです。

赤い提灯には「金比羅大権現」と

書かれています。

見習い職人の一人はまだ子供に見えます。

早く一人前になって、親に楽をさせてあげたい。

そう思っていたのかもしれません。

一途な思いはきっと神様に届いたことでしょう。


つねきちの描線が

柔らかい体の生々しさを強調しています。

横に見える猫たちも

そのしなやかさで

寒空の下に安心感を添えているようです。



明治時代に入ると上水道の整備のため

この葵坂は削られ、その土で池が埋め立てられました。

現在この辺りにあるのは

虎ノ門病院だそうですが

その前の道に

葵坂の名前が残っていて

都心と湾岸エリアを結ぶ通りと

なっています。

この絵が描かれた当時とは

すっかり変わってしまった今ですが

空を飛ぶ雁の群れが

江戸と東京を結ぶ道のよう。


茶や灰色が多い絵なのですが

何故だか鮮やかに感じます。

空の動き、水の流れ

生き物たちの息づかい。

そして人々の心の歩みが

時代を超えて伝わってくる。

そんな一枚となりました。





模写絵師つねきち八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つねきちが描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つねきち流儀」をお楽しみください。

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