芝愛宕神社 ー芝愛宕神社ー

歌川広重名所江戸百景・春の部より

芝愛宕山

水彩にて 模写絵師つねきち



東京23区で最も標高の高い場所と言われる

芝愛宕神社。

そこで、毎年お正月に

執り行われていた行事

「強飯式」ーごうはんしきー

の様子を描いたものです。

絵の中には大きなしゃもじを手に持ち

お正月の飾り物を兜につけた

奇抜な男性が描かれています。

「毘沙門天の使い」と言われる彼は

若い衆を引き連れて

愛宕神社の男坂をのぼり

円福寺に向かっているところです。

円福寺の中では僧侶たちが並んで座っていて

その前にはお膳が置かれています。

毘沙門天の使いがその前に行き

大しゃもじをドンドン鳴らして

「飲みやれ、飲みやれ」などと命令をすると

僧侶達は必死になって

お膳の上のご飯や飲み物を平らげます。

この儀式を行うことで

無病息災、商売繁盛、厄除けなどの

ご利益を得るそうです。

元々は徳川家康が

江戸の火事を抑える為に

建立させた愛宕山・愛宕神社からは

江戸湾(東京湾)一帯が

広く見渡せていました。

ある時、三代将軍・徳川家光がここに参拝に来た折に、

山上の梅の木から

実にかぐわしい香りを感じたため

「あの梅の枝を取ってこれる者はおるか」

と、家臣に投げかけたそうです。

男坂の階段は傾斜の激しい急な階段。

誰もが尻込みをしていた、その中で

曲垣平九郎(まがきへいくろう)という人物が

馬に乗ったまま、その石段を登り降りして

あっという間に、梅の枝を届けました。

それを見た家光は

「太平の世でも馬術の稽古を怠っていない者がいた」

と、大いに喜び

曲垣平九郎さんに名刀一振りと

尾張藩で900石を与えたそうです。

一石は現在の10万円〜20万円相当になるので

その900倍を一瞬にして賜った

平九郎さんにちなみ

ここは「出世の階段」と呼ばれるようになりました。

つねきちの描いた「毘沙門天の使い」も

まるで立身出世に

取り憑かれたような様相です。

人物や景色、小物の隅々に至るまで

ひとつたりとも取り残さない

そんな強い思いで仕上げました。

愛宕神社には現在も

多くの参拝客が訪れています。

模写絵師つね吉八卦鏡

知的障害を乗り越え描く、無垢な魂の筆使い。 つね吉が描く色合いは、渋みが主流の浮世絵とはちょっと違っています。 彼の目には江戸時代の景色がそのまま映っているからです。 そんな独特の「つね吉流儀」をお楽しみください。

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